ひとりごと
エレクトーンはベースが命2008秋

久しぶりに真面目な事を書こうかと。
エレクトーン、そう生業の事。

最近エレクトーンを習う生徒が激減しているのは周知の事実。いろいろ原因はあるけれど、今回はメーカーへ大胆な提案。
99800円のエレクトーンを出しなさい!

お正月におじいちゃん、おばあちゃんがお屠蘇の勢いで孫に買える…、お父さんがクリスマスプレゼントで子供になけなしのボーナスで買える…、エレクトーンを出してください!

STAGEAminiはその使命を受けて誕生したけれど最初の一歩にはまだ高いのです。
電子ピアノの売れ筋は10万以下。兎にも角にも3段鍵盤が必要なのです。
極論すればベース、足鍵盤の導入です。カッコつけなくてもいいと思います。

機能は必要最小限、音色も上鍵盤8個、下鍵盤8個、足鍵盤4個でOK。
全体のイメージは、昔、4色カラー・分解可で売り出した「ME-55」
儲けなしでも「損して得取れ」です。種まきをすることが今一番大切だと考えます。

エレクトーン指導に携わる皆さん、どう思います?

豪華施設2006夏

この春息子が進学で上京。「お盆に帰って来い!」といっても帰ってこないので、夏休みを利用してこちらから押しかけてやりました。そしてついでに学校見学。

春にも一度見たけど、じっくり見学するのは今回が初めて。
とにかく校舎に圧倒されます。全館黄色のレンガタイル風サイディング外壁。建物の裏はサイディングを省く、なんてケチナコトはしていないし…^_^;

すべての建物のデザインが統一されているので、とても気持ちがいい。
ヨーロッパの街のようです。ここはすべてを4年前に新築したそう。
だから新旧建物のデコボコがありません。
「これみんな親が払った入学金だよな」とひとりごとを言う貧乏とうさんでした(-_-;)

芝生も手入れが行き届いていて、どこを撮っても絵になります。
ドラマでも使われるそう。今も車のTVCMで使われているし…。

教室の設備は言うまでもありません。でもクラブや同好会のポスター見てると、自分の学生時代とちっともかわってないのが、ちょっとうれしかったですね。

「学生生活をエンジョイしろよ」と一見物分かりのよさそうな父親を演じながらも、
「元取れよ!」が本音(^_^)

さっそく寄付のご案内がきましたが、もちろん払えません^_^;

New York2005夏

20年ぶりにNewYork行ってきました。なぜか長男と。「危ないから、ぜったいお父さんの側を離れちゃダメよ」と、妻に妙な足かせをされての二人旅。
彼だってくっついていたくないだろうに…。
テロの影響でセキリュティチェックはきびしかったけど、街の雰囲気はいたってのんびり。世界中からおのぼりさんが集まってました。自分も含めて…。

やっぱり観光都市なんですね。ウォール街=経済の中心というイメージが先行するけどショービジネスに落ちるお金は半端じゃないですよ(東京もおなじか?)
そのエンターテイメント産業、ミュージカルもヤンキーズもしっかり堪能してきました。ミュージカルは今更いうこともないけど、質が高いですね。アンダースタディでも歌がうまい!それと演出。どの俳優もツボを心得ていらっしゃる。
客のノリもいいし。ヤンキースタジアムはあえて外野席へ。楽しかったなあ〜
みんなベースボールが好きなんだなあ〜。今回の一番の収穫でした。あっ、松井は人気なかった。ジータへの歓声が大きかったように思う。

グランドゼロはため息、エンパイアステートビルは列に辟易、自由の女神は船でのんびり
、、。メトロポリタンは時間足らず、MOMAへ行けなかったことが心残り。
また行くさ〜。ちっとも長男とコミュニケーションが取れなかった7日間でした。

エンターテイメント2004夏

今年の夏は暑かった!台風も多かったし…。それでお手軽な避暑と言えば、エアコンが効いた部屋でのDVD鑑賞。PCでも気軽に見られるしね〜。で、今のお気に入りはレニー・ゼルウィガー
「恋は邪魔者」。もうぴったりのハマり役ですね。「ブリジッドジョーンズの日記」からの大ファンだけど、この手のキャラポジションをしっかりツカミました。「シカゴ」で歌に挑戦して(素人だったらしい)次はこの「恋は邪魔者」。うまくなってますよ〜。
お相手はユアン・マクレガー。「ムーランルージュ」でニコール・キッドマンのお相手で、『おっ、なかなかやるじゃん』と思ってたら、レニー・ゼルウィガーのお相手でも『うまい!』スターウォーズのイメージしかなかったので見なおしました。
それにしてもオープニングからして、古きよきアメリカンテイストプンプンのこの映画、「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」と同様、子供のころよく見たアメリカテレビシリーズを思い出してくれてうれしい限りです。
選曲も泣かせるし…。もちろんアマゾンでCD即買い!(^^)!
なんでもそうだけど(たとえば大好きな浅田次郎)上質のエンターテイメントは、コンセプトがはっきりしていて、作りこみがすばらしいということ。
もちろん能力があるスタッフがそろってるんだろうけど(^.^)。

同窓会2003夏

 先日30年ぶりの同窓会に出た。中学時代にお世話になった塾のM先生を囲んで15人ほどが出席。このM先生、名古屋大学在学中に、田舎の純朴な(^_^;)中学生たちに英語を教えてくれたというわけ。勉強もソコソコに、のどかにカン蹴りやサッカーを楽しんだのがなつかしい。
 思い出といえば、先生のひと言で進学高校を決めたことと、「これなんて読むかわかるか?」→(穴の穴)「アナのアナ?ですか」「ケツのアナだ!」というのをよく覚えてる。ユニークな先生だった。ユニークといえばご自身も、29歳で北大医学部へ転進。今は道内を勤務医として廻ってらっしゃる。専門も産婦人科。どおりで(穴の穴)だ。(^_^;)「どうして医者に?」とたずねたら、就職で大○本印刷に落ちてフラフラしてるときに、高校時代の友人で医大生になった「ヤツ」に久しぶりに会ったら、その傍若無人さに呆れて「こんなのが医者になってはイカン!」と一大決心。俺がやらなきゃ、と思ったらしい。
人が集まるのは人徳なんだろうなあ〜。
 同窓生も働き盛りの連中ばかり。隣に座ったのは「ゴルフ大好き」を絵に描いたような空調メーカー営業マン。片や県庁建設部の役人(今回の幹事)。そのうちボヤキが…「いや〜、確かにね、ひとつモノをつくると億単位でしょ。だから数字には麻痺してくるし、選定でも便器ひとつ、蛇口ひとつに本当に気を使う。メーカーと上の幹部との間で悶々とするよ。結局役人はね、数字の中にどれだけ自分の思いを入れるかどうかだよ」とのこと。
 次のお隣さんは県教育委員会の高校人事担当。子供が今春高校受験だったので、こりゃ興味わきますよ。「○○高校はどう?」なんてこっちも酔った勢いでいきなり切り出す。ここからは書けないけど、貴重な情報をイタダキ。なるほどね、と納得することしきり。今度は教育界の現状を勉強させていただきました。
 一人だけ自分とおなじように自由人らしき人物がいたので気になったいたら、なんとカラオケデータ作ってるバンドマン。世間はせまいねえ〜。
「どう?ケイタイ長者なんじゃない?」なんて切り出したら、「イヤイヤ、それは一部でね。結局もうかるのは頭のいい中間業者で、製作者はひどいもんよ」なんて、具体的な数字まで教えてくれ、またまた勉強というか情報収集ができ、楽しいMIDI談義となりました。おもしろいのが彼の兄(近所の塾だったから当然兄弟もいる)が消防署の幹部。これまたおもしろいウラ話がいろいろ。女性の進出はいいんだけど、実際ストレッチャーは持ち上がらないし、上司のキャリア女史に向かって「最終確認はマンホールに降りていただかないと…」と野郎どもが腕組みしてヘルメット差し出し、迫ったこととか。
「みんなつらいなあ〜、でもがんばろうな」でおひらきとなりました。
最初は渋ってたけど、楽しい同窓会でした。

川上源一(ヤマハ中興の祖)2002夏

 川上源一氏が5月に亡くなった。最高顧問にして、天皇とよばれた人物。そのエピソードは数知れず。今回は私がYAMAHAに奉職していた時代の、実際に経験したできごとを思い浮かべながら、故人を偲びたいと思う。ちょっと長くなるけどご勘弁を。
天皇と呼ばれるぐらいだから、その取り巻きたちの気の使い方はそれはもうたいへん。あるとき本社から支店へ来られるという情報が入った。
 松下幸之助氏のように、赤絨毯をひくことはなかったが、前日の大掃除、当日の服装、など厳戒態勢がひかれる。突然映画の話だけど、森繁久彌主演の「駅前社長シリーズ」ってわかるかな?その中で重要な人物といえば、宴会部長役の三木のり平さん。昔はこういうユニークな人がいたんですよ、ほんとにね。そののり平さん(ここではそう呼ばせて!)こういうとき俄然ハリキル。電話片手に「今、本社を出たぞ〜、途中○○で食事、あと何分で到着!」とゲキをとばす。こののり平さん、YAMAHAが都市対抗野球で優勝したとき、一夜でパレードの手配をしたという逸話の持ち主。地元の音楽界にも顔が広く、紳士だった。
 源一氏は長い間、エレクトーンコンクールの審査委員長を努められた。全日本大会だったかインターナショナル大会だったか忘れが、審査の間ゲストタイムがあって関係者一同はほとんど外でロビー外交中。席にもどらない。審査が終って席にもどった源一氏、関係者・招待席がガラガラなのを見て怒った。「今すぐドアをしめろ!」そりゃあ、締め出された関係者は戦々恐々。首筋を冷た〜いものが落ちたのはまちがいない。その場の空気が凍った覚えがある。
 コンクールと言えば「川上賞」なるものがあった。この話は伝聞されたことなので定かではないが…。コンクールなので当然、順番をつけなければいけない。委員長にしてYAMAHA最高権力者、だれも逆らえないが、結果を捻じ曲げることは絶対なかったそう。そこでどうしても思い入れの強い曲に個人的に「川上賞」を出したらしい。
ある大会で、どうしても1位の曲が受け入られない源一氏が、同席した一番信頼する人物に聞いた。
 「私はどうしてその曲がいいのかわからない」と。そこでそのヒゾッコ女史「理事長のおっしゃる曲もいいけどこの曲(1位)はそれを越えるサムシングがある」と。一番信頼する人にそう言われて、源一氏、我を通さず、素直に応じたらしい。引退するときの名文句が「足元の明るいうちにグッドバイ」。このまま実行できれば今頃は本田宗一郎氏とともに、浜松、いやニッポンの偉人伝としてもてはやされていたと思うと残念でならない。その後の顛末は経済誌に譲るとしても、まちがいなくエレクトーンをこれだけ普及させた功績は大きいと思う。混沌とした今、川上待望論が出てくるのもうなずける気がする。

http://www.sanbou.net/retsuden/ka/kawakami.htm


タッパ2001夏

一路真輝の東宝版「エリザベート」を見てきた。前から6列目のセンター。トート役はダブルキャストで山口祐一郎。いや〜、かっこいいね。おなじ山口でもこうもちがうかやぁ(嘆)くやしいことに年までおなじ。
 とにかく舞台俳優は今や180cmが基本。おとこはやっぱ、タッパが必要ですなぁ。ルドルフ皇太子役の井上芳雄も180cmの長身に甘いマスク。しかも東京芸大声楽科に在籍中で1000人の中からオーディションで選ばれたシンデレラボーイ。こりゃマダムたちがキャーキャー悲鳴をあげるのもわかりますよ。USJのキャスト募集にも「180cm以上か165cm以下」という項目があり、「キャラははっきりさせなきゃいけないんだ」とミョウに納得。
 どうしたら女性のこころをつかめるんだろう?と勉強のつもりで舞台を見るけど、結論は…やっぱり外観なんです。ハイ。(~_~;)
絶対に中身じゃないです。ハイ。(~_~;)
というか中身を見せちゃいけないのです。ハイ。(~_~;)


2000秋

夏の喧騒が去り、温かい飲み物がホッとする季節、落ち着いた気分になりたいと思うのは年を重ねたせいだろうか?
「癒し系」でヒットしているこのCDを聞くと、12音階の限界が言われて久しいのにまだまだ組み合わせはあるものだなあ、と感心しきり。というか才能に嫉妬。
「Image」とはなかなかよいネーミングを考えた。目を閉じればいろいろな像が浮かぶ。実像、虚像、写像、画像、印象、想像…。
シューマン、ガーシュイン、アービング・バーリン、ジョン・レノン、バート・バカラック、アンドリュー・ロイド・ウェーバー、etc.1曲でいいから贔屓のメロディメーカーたちに仲間入りできるのが自分のささやかな夢。
 世界遺産のような「モノ」ではなく、「音」という手にふれられないもので人々を仮想(imagination)の世界へ誘うのは、ある意味宗教家かもしれない。ということは、これらの曲は人生最大のセレモニー「お葬式」に合うのでは?


株主総会1999秋

ちょっと前の話だけど、生まれて初めて株主総会というものに行った。(別に金持ちじゃないよ!)テレビでしか見たことがないので興味津々。「やっぱりスーツかな」と気を使っていったけど、リタイアした初老の方々が多く、わりとラフな格好も目立った。
 『強面の総会屋がいるんだろうか』『進行はどうするんだろう』と株主総会はじめて物語りは始まったのでした。(^_^;)
 会社は社長一代でここまで大きくしたという1部上場のパソコン関係会社で、議事進行はヤジもなく淡々と進む。今は社員のやる気を出すために株を与えるんですね。そんな議題もあった。挙手の中から3人が質問したが…ピンぼけなオジ様もいておもしろかった。
 社長を拝見するのははじめてだが、受け答えがはっきりしていてちゃんと自分の言葉でしゃべっていることと、現場がよく見えていることに感心した。さすがに一代でここまで大きくしただけのことはあるな、と納得した次第。株主にその場で約束したことも後でちゃんと送られてきたし(社長が壇上で質問者に約束した時、後ろの社員が顔を見合わせて『やめてよ〜社長』とお互い目くばせしてる姿を垣間見たときはおかしかった)何と総会の後にコミュニケーションタイムとして軽食を用意し、役員がビールをついで廻り、「我社に何かご意見は?」と聞いて廻ったんですよ!この姿勢はすごい。
 こういう会社の株は『カイ』ですよ。で今の株価は? 半額です(泣)

猿之助「スーパー歌舞伎−新・三国志−」1999夏

久しぶりに見てきました。
相変わらずのハデな舞台、衣装、4時間を楽しく過ごせました。猿之助はあまり動きがなく、ちょっとお疲れかな?と思う場面もしばしばありましたが、右近・亀治郎など、周りの役者は確実に育ってますね。それに今回、主役は笑也じゃないかと錯覚するほど猿之助は引いていました。たぶん猿之助はそろそろ後継者のことを考えてるのかな?と勘ぐりましたよ。
 今まで強力なリーダーシップで歌舞伎界をかき混ぜてきた男の最後の仕事。それが一番むつかしいといいますが…。誰なんでしょう?市川右近でしょうか?甥っこの亀治郎でしょうか?松竹さん、うまくやってよ!藤山寛美はうまくいかなかった。
 そういえば寛美の娘、藤山は自他ともに認める猿之助ストーカーだそう。相当のファンらしい。彼女もうまいねえ〜。テレビ番組で猿之助について、締めの言葉「媚はうらんけど、切符はよううるでえ」これこそ役者の鏡と言ってました。
 三国志の中の言葉なのかどうか知りませんが(読んだことがない)印象に残った台詞を一つご紹介。「事を諮るは人、事を成すは天」ウムウム(^^)。
 そして1500人の人質のため大将自らの首を差し出した関羽の言葉「天を取り地を取っても天下人に在らず。人の心に生きてこそ天下人」ウムウム。大将たるものこうあってほしいですね。
 どちらにしても若手脚本家の横内氏、あんたうまいよ〜。それにひきかえ、音楽の加藤和彦氏、ちょっと〜でした。
 それと誰かエレクトーンで舞台へ上がる人いないかなあ〜なんて変なこと考えていました。「魏の電子琴名人」とかでね。猿之助なら受け入れてくれるかも。林アキラさん、出番です。


エレクトーンgalaコンサート'991999春

「これだよな」クボタヒロシのリズムに合わせて子供の手が宙の鍵盤を弾く。そこにはかまえて聴くような大人の邪心はまったく無い。単純にかっこういいというだけのこと。
 エレクトーンと同じ年の彼が、ステージではじける、おどる、うなる、足が動く。方向性に乏しい今、子供がかっこういいと思う。「これだよな」もういちどつぶやく。
 きれいなWebSiteを見ているような錯覚のナカムラのステージ。ムツキの留学の缶詰「間奏曲」。そしてシュウ・レイの指がなんの衒いも無く鍵盤を舞う。
 すべてを受け入れよう。そして次の40年へ旅立とう。

MIDI検定3級1999春

「MIDI検定3級」響きがいいですね。何たって「検定」なんだから。将来は国家試験になるんでしょうか?音楽療法士とどっちが早いか?と、どうでもいい枕ですが、(^.^)なめちゃいけません。
 1問目。MIDIは何の略?まさかこんな見え見えの問題でないでしょ!と思った私がアカサカの夜はふけて。MusicかMusicalか?どっちだっけ?いきなり汗ばみました。(-_-;)
 一生懸命ドラムマップを覚えたのにこれは出ず。GMの音色マップなんて覚えてないよ〜。イベントリストは予想通りクラシック曲。3曲とも「くるみ割人形」からでした。思わず歌ってしまう…。
 問題を理解するのにけっこう時間がかかりました。40分でできたけどとりあえず見直し。「これのどっちかなんだよなあ」と2者選択が多かった。見直し時に「神の言葉」が聞こえ「やった〜」と喜んだが、結果はすべて逆。お賽銭けちったかなあ〜。さっそくトホホネタですね。
 会場は若い子供たちばかり。女性も多かった。それに教え子が4人。落ちたらカッコ悪いなあ〜。首を洗って2月10日を待つだけです。ハイ(-.-)


ゴールドフィンガー1998秋

 最近ノートパソコンを買い替えた。値段が安くなったので、つい衝動買いしてしまった。前から、買うんだったらコレッと決めていたのだが、ただひとつ気になっていたのが「トラックボール」。店頭で「これは使いづらいな」と思うことがたびたびあった。
 ところが、店員さんが両手で器用に扱うのを見て、「目から鱗が落ちる」状態。自分はずっと片手で操作していた。使いづらいはず。両手ならクリックもラクラク。結局今では普通のマウスより細かい作業までできるようになり、肩凝りもなくなった。
 過去のパソコン遍歴(^^;)を考えると、最初はトラックポイント(これはかなり自信があった。。自分の人差し指はゴールドフィンガーだと豪語していた)次はタッチパネル(最後までモノにならなかった)そしてトラックボール。
 「住めば都」ちょっとちがうか?人間、環境には慣れてしまうもので「これしかない」と思えば頑張るもの。えっ?あきっぽいだけ?そうかも…。

ロバの耳1998秋

 なにげなく人の話が耳に入ってくる、という状況がある。先日二日続きでこんなことがあった。仕事でおとずれた某市。朝、喫茶店で暇つぶしをしてたらとなりの学生の二人連れ、「ふっ」と見るとピアノ教材を持っている。その町には音楽短大があることがわかっていたので「ああ、そこの学生だな」と思ってると、たばこをふかしながら「ねえ〜どうする?」「歩く?バスのる?」「時間だいじょうぶ?」「いいんじゃない?」と授業はどうでもいいようす。
 仕事柄(ワタクシ音大でも教えてるんで、、)学生のふだんの様子は興味津々。オジサンは怒りません。「俺も学生に戻りたいなあ〜」が本音。
 翌日新幹線での会話。自分と同じノーネクタイのいかにも自由業風の3人連れ。どうもTVや映画の製作プロデューサーと見た。年配の話を若いモン二人(技術かディレクター)が聞くと言うカタチで話が進む。「ベトナムの撮影、俳優がよかったよ」という会話から引き込まれる。
 どうも「夜空ノムコウ」の川村結花のプロモーションビデオだったそう。この曲いいよね!彼女のピアノの弾き語りもいい味出してる。彼女は***なので3カットしか使わなかった、スタイリストの***女史はそりゃすごいよ、ベトナムの俳優はすごくイイ、スタッフも優秀、東京湾を上空から見ると反対派の言うことがよく分かるよ(別の話)etc.おもしろい業界話が聞けました。
 でもプロモーションビデオ見たことないんですよ。
E_NETでも覆面座談会やろうかな?メンバーはすぐに思い浮かぶけど勇気がいるなあ〜(^.^)

夏休み1998夏

 夏休みの昼さがり子供2人を連れてのアルコプール(注1)通い、さすがに3日目ともなるとキレイなママさんたちを見るのも飽きてきて「はやく開放してよ〜」というのが本音。
 そこで子供だけをプールに放し飼いにしてパパは2Fの休憩室で「週刊アスキー」と「文藝春秋」をじっくり読もう!と魂胆。で、問題なのが子供たちとの連絡方法。
ケイタイは持ち込み禁止、もちろん電子メールも使えるはずもなく、「毎時○分にロッカーの前で」と約束させてバイバイ。
 結局スパイが使うもっとも古典的な方法が一番確実、という法則が実践された貴重な一日でした。世界中のスパイも、カップルもこうしてるんだろうなー。
(注1)信長で有名な
清洲町にできた最新鋭のプール。JR新幹線で名古屋駅から京都方面へ2−3分走ると、右手に清洲城、左手にアルコプール。一瞬でシュン(T_T)

市川猿之助の「スーパー歌舞伎・オグリ」1998夏

 最近のryukeiの密かな楽しみは、、、。歌舞伎鑑賞。「オジンくさい!」と言われそうですが、これ、本当にいいですよ。40過ぎると♪〜人生イロイロ〜♪が少し分かってきて、人間今も昔もかわらないし、みんなどっこいどっこいだな、と妙に納得したりして、、、お芝居はおもしろいものです。
御園座(ミソノザ)が近いせいもあるのですが、贔屓の俳優もできました。今までは所謂歌舞伎十八番の古典モノしか見た事がなかったが、はじめて市川猿之助の「スーパー歌舞伎・オグリ」を見た。
最初はあまりの派手さにびっくり。歌謡ショーかと思った。得意の宙乗りをはじめ、照明(歌舞伎でバリーライトを使うとは!)、平易な語り、説明しすぎるしゃべり、「ちょっとちがうんじゃないの?」と感じたが、そのうち芸の事より「この世界でよくこんなことができたもんだ」と猿之助のパワーに感心して、自分自身が元気をもらえた。いろいろな批判があっても一生懸命やっている姿は感動的ですね。
 確実にファンを増やしているようだし。今回の収穫は女形「照手姫」の市川笑也
でした。うまいし綺麗です。この人一般人だって。

ボストンポップスオーケストラ1998春

 先日エリックカンゼル率いる「シンシナティポップス」を聴いた。「ボストンポップス」とこの「シンシナティ」はエレクトーンを仕事とする人間ならとりあえず押さえてお かねばならぬ2大オケだと思う。
 とくにEL90が出てからは「シンシナティポップス」のアレンジはみんながパクッており、出版物にもよくみうけられる。演奏は期待通りの内容で何と7プルトの弦とよく鳴るホルンがSEを交えながら飽きさせなかった。「トランペットもいいなあ。EL90にあの音がほしいんだよな」などとエレクトーンバカはのたまうのでした。(EL90のTP3は奥田某という人のサンプリングなそうな。吉本新喜劇のテーマ曲も吹いているが本人はかくしているらしい。アリモトカオリ嬢に教えてもらった)
 とくに転調をふんだんに使うアレンジはすばらしいの一言。さすがアメリカンビジネス。1分1000ドルとか。でもその値打ちはある、と思う。
 個人的には「ムーンリバー」が気に入った。何であんなに素敵なアレンジができるのだろう。でもCDがない、、、。「ホワイトクリスマス」1コーラス目は単純なWmなどを使っていたのでアレ?という感じだったが2・3コーラス目は「うーん、やられた、、すごいリハーモナイズ、、」半年前に聴いた新鋭キースロックハート率いる「ボストンポップス」とはまたちがったカラーでこれからも目が離せません。

NHK「私の歌日記」1997春

 3・31いつものように疲れた体をふとんに横たえ、枕元のラジオのスイッチをつけると、ちょうどNHKの「私の歌日記」が始まろうとしていた。
 今日で最終回とのこと。「えっ!」偶然付けたラジオから突然のお別れを言われファンの私としては、戸惑うばかり。

 ストレスの多い世の中、一番ほっとする床の中で「癒し」を提供してくれる貴重な存在だった。わずか15分の番組だが、それぞれの人々の思い出の曲と、NHKらしい飾らないアナウンサーのかたりくち、最後のポエム。

 テーマ曲の「ふるさと」はどうってことないアレンジだが気持ちがいい。こういう曲を
エレクトーンで弾いてみたいなと思う今日この頃である。
 尊敬する山岸三樹夫先生の言葉「音楽は状況と共に存在する」がわかる年になってきたのかな?
構成の「スギノリヒコ氏」は6年間で1500の詩を書いたそうだが 「書かせていただいた感謝の気持ちでいっぱいである」とはなかなか言えることではないが、心に染みる。
 メディアとしては古いと思われがちなラジオが、「癒し」という今一番求められているテーマを具現化している事実。

 私のちんけなホームページのようなマルチメディアっていったいなんだろ?

ラジオは単3電池2本で2〜3ヶ月保つし(^_^)

ヘクターオリベラコンサート1996年秋

「楽器」の前に音楽ありき。
 オルガン芸術としてのオリベラの演奏はすばらしかった。
10年ぶりに聞くので、期待と不安が半々だったが、オリベラは裏切らなかった。
 相変わらずのしなやかな足さばき、ダイナミックレンジの取り方のうまいこと、エンタティナーとしてのステージング、、、etc. 勉強になりました。2曲聞かせてくれたシアターオルガンも「古きよきアメリカンサウンド」で堪能させてくれ
うれしかった。当然CDを買いました。